202104.19
1990年代半ば、古着の卸会社に勤めていて、アメリカへ仕入れに行っていた。
携帯電話は普及していなく、当然海外で使える状況ではない。インターネットもカーナビもない時代。国内で下調べした情報と、現地の電話帳で調べた住所を地図に書き込み、シボレーアストロで走り回る。数メートル先も見えない雨が降り、フロントガラスが割れるほど雹(ひょう)も降った。大型車が横転する風も吹いた。地平線まで続く赤い岩も見た。
とにかくスケールが大きいと感じた。また、日本と連絡(国際電話)を取る頻度も少なかったため、つねに寂しさはあったがその反面、「何かありそう」という漠然とした期待と自由を感じた。
この頃に、「自分で考え、行動し、進む」ことを覚えたと思う。これはとてもありがたい経験だった。そして、あれは確か、ニューメキシコ・アルバカーキ空港で列に並んでいたとき、一人の日本人のおじさんと出会った。日本から材料仕入れに来ていたおじさんは、広島県福山市のレザークラフトマン。福山市は岡山県との県境。こんな辺ぴなところでお隣さんに会うなんて。
のちにおじさんには、色々お世話になった。
今の仕事につながる出会いと、”FREEDOM”を意識したおはなし。